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概要kinenkan.htmlkinenkan.htmlshapeimage_8_link_0
展示紹介〈1〉shapeimage_9_link_0
館内の展示配置tenji4.htmltenji4.htmlshapeimage_10_link_0
アクセス・交通機関access1.htmlaccess1.htmlshapeimage_11_link_0
記念館の庭kinenkan2.htmlkinenkan2.htmlshapeimage_12_link_0
展示紹介〈2〉tenji2.htmltenji2.htmlshapeimage_13_link_0
展示紹介〈3〉tenji3.htmltenji3.htmlshapeimage_14_link_0
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復元された安岡先生の書斎

愛用の机と硯、墨、筆等

めにGHQ(連合軍司令部)から接収指令を受けた。

 当時GHQの命令は絶対であったが、安岡先生はこれを拒否、マッカーサー元帥宛に接収撤回の直訴文を突きつけた。

 この木扇は、先生が精魂込めて直訴文を書いている時に、常に手元に置いていたものである。

 その後、接収指令は撤回された。

 木扇。安岡先生の自筆で「自反而縮雖千萬人吾往矣」〈自ら反(かえ)りみて縮(なお)くんば千万人といえども吾往かん〉と書かれている。これは「孟子/公孫丑章句上」にある言葉。反対面には「虚空落地 火星乱飛 倒打筋斗 抹過鉄圍」(絶海和尚の遺偈)とある。

 戦後間もない昭和22年。日本農士学校の敷地は、ファーザー・フラナガン神父で有名な「少年の街」という、不良少年を教育する施設を作るた

日本農士学校の

学生生活の一こま。

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